2000年 4月16日 |
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自分更新日記 |
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テキスト庵 | ||||
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読みました、ということが私に伝わります(?)
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首の痛みは治まらないぃ〜。 そして、昨日は1日中、病院にいましたとさ。 といっても・・・起きたのが昼近かったので・・・まぁ、午後1時から午後7時まで。 っちゅー感じでしょうか? Bちゃんの病院です。
なんだかBちゃん、ひどくうなされてました。 もしかしたらダメかも? って感じ。 検査結果が出たんだけど、あまりいい調子じゃありません。 私は、何もすることが無いので、病室に一緒にいるだけだったんだけど。 身内の人はバタバタと大変そうだった。 というか、バタバタしてないと「落ちつかない」んだろうな、精神的に。
いい機会なので「死」について、色々と考えてました。 思うに、以前よりも「死」に恐怖を感じ無いようになってるみたいです、自分。 Bちゃん自体は、ぜんっぜん「ヤダ」って言いきってますけど。 遅かれ早かれ、人はみんな「そっち」に行くわけだし。 「そっち」にいったら、また会う事になるって気がします。 だいたい、「こっち」で会えたことだって「まぐれ」に近いぐらいの確率で、縁があったんだなァ〜と思うし。 「もし、先に行くんだったら、待っててね」 って心の中で思ってました。
ただ、病気と格闘している人を見ていると思うのは。 やっぱり、人は死ぬとき、とても「寂しい」んじゃないか? って事。 死と直面するとき、というのは、「本当に1人」なんだと思います。 例えば、どんなに団体で一辺に死んでしまったとしても。 その「死にゆく瞬間」というのは「全くの孤独」なんだと。
以前、何かの本に書いてあった「人は生まれるときと死ぬときが一番孤独だ」ということ。 もしかしたら、そうなのかもしれないな。 となんとなく実感してました。 死ぬというのは、今もっている自分の「肉体」にすらお別れしなくちゃならないわけで。 実体を無くす、という行為は、本当に心細いんだろうな、きっと。 5感が無くなってしまうワケだしね。
そうしてみると、生きているうち。 生きていられるうちに。 この5感をフルに使って生きたいな。 自分の「肉体」は、年齢の分使い古された精神の「乗り物」だけど。 結局、一生この乗り物に乗って生きていくわけですし。 車みたいに「よっしゃモデルチェンジ!」とか「よっしゃ買い替え!」とか出来ないわけだしね(笑)。 この乗り物に備わっている「5感」装置を、どう上手に使いこなすのか? 乗りこなすのか? 結構大切なのかもしれないねぇ〜。
一緒に病室に行っていた友達と、「死ぬときって、自分の今までの人生がフラッシュバックみたいに蘇るっていうけど、どの場面が一番見たくない?」っていう話をしていました。 その友達(男)は「オレ・・・オレは・・・自分のオナニー姿・・・」とボソッと言いました。 うーむ確かに。 私? 私は・・・一杯あって言えないけど(笑)、一番若い時の出来事だったら「小学2年で万引きをしてしまったシーン」だなぁー。 いや、くじ引きで当たる小さいトランプを、つい取っちゃったんですよねー。 すんませーーーーーーーーーーーーん!! あれは見たく無いです・・・。(他にも山のようにありますけど、時間が無いのでマタ来週!←?そんな来週来るのか?)
あなたは、どのシーンが見たく無いですか?
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