2000年 4月23日 |
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自分更新日記 |
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テキスト庵 | ||||
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読みました、ということが私に伝わります(?)
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正直でいること、それは時と場合によっては自己満足にしかならないんじゃないのかな? そんな事を考えていた1日だった。
Bちゃんの容態(医療ミスで集中治療室にいます)は一進一退を繰り返している。 一昨日は意識がハッキリしていて、私達の顔もわかっているようで点滴が入りっぱなしの手を一生懸命上げようとして、何度も頷いていた。 呼吸器が口には入れられているので話はできないけど。 昨日は、熱があり咳も出ていて、ずっと意識がハッキリしなかった。
容態が悪くなると、周りにいるひとは色々なことを頭で考えてしまうみたい。
彼女の一番ちかい家族は、ズッと自分のことを責めている。 「こうなったのは自分のせいだ」と思ってる。 でも、私から言わせれば・・・「間違い」を起した人が自分を責めるのは仕方ないけど、「病院を選んだ」人や「ただ側にいた人」が自分を責めても・・・仕方がない。 それは運としか言い様がない。
昨日、とつぜん、家族の人が「今日、Bちゃんに医療ミスのことを知らせようと思う。 知らせて、許してもらおうと思う」と相談してきた。 私は、心底ビックリしてしまった。 今、生死の間をさまよって戦っているのはBちゃんなのだ。 苦しい呼吸器を突っ込まれて、食事を胃に直接液体で入れられてるのはBちゃんなのだ。 時々くる、痛みを24時間耐えて生きようとしているのも彼女だ。 一番がんばっていて、ストレスが溜まって、辛いのは誰でもないBちゃんなのだ。
私達は、私達の想像力を使って、彼女の様子を見ながら彼女の「苦しさ」を考えるけれど。 それはあくまで「健康な人が想像する痛み」でしかなく。 たぶん、本当の痛みからは程遠い。
その「今、一番の苦労人」に真実をぶちまけて、彼女に新しい苦悩を与えてどうするんだろう? 真実を知って、知りながらも、「間違いを犯してしまった医療の現場」から自分で立ち去ることができない彼女がどう思うのか考えないのだろうか? 「全てを話して、彼女に許しを請いたい、平和な気持ちで・・・亡くなるときにはいてほしい」 家族は言った。
「平和な気持ち?」 今、真実を伝えて、平和な気持ちになれるのは「言った本人」だけだと私は思う。 自分の中に抱え込んだ「罪悪感」を外に出したい為に戦っている人(病人)に、手を借りたいのだろうか?
私は、本当はそんな立場では無いとは思ったのだけど・・・。 家族会議の中で発言してしまった。 「告知の必要は無い」 と。 だって、そうでしょう? 戦場で戦っている人に、チクイチ「その戦争が起こった理由、経歴」を耳元でグチグチ言っても、今、剣を上げて傷つきながら敵と戦ってる最中には邪魔だもの。 「せめて、集中治療室から出れたらにしたほうが良いと思う」 と言った。 実際に、どうなるのか? 私には分らない。 今度、病院にいったらもう告知は済んでいるのかもしれない。
でも・・・病人の周りにいる健康な人が、弱気になって病人に助けを求めてどうするのだろう? 心は辛いかもしれない。 でも、その心の辛さを自分でコントロールしなくてどうするのだ? 最低限、集中治療室に入らなくてもよいぐらい、周りにいる人間は健康なのだ。 精神的な不安は、自分でなんとかしようよ。
正直でいることが「優しさ」だと思うのは。 ちょっと自分よがりだと思う。 時には優しいうそのつける人。 自分でその罪悪感すべての責任を感じながらも「嘘」をつきとおせる人というのも、大切だと思った。
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