その45 |
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別れの理由 | |
私の女友達たちはほとんど、全て、漏れなく(シツコイ)世間一般からは「強い」と認識されてしまう。 そう、私も含めてだ。 理由はハッキリとは理解できていない、理解できるのだったら「傾向と対策」でも練って、みんなで作戦会議でも開きたいぐらいだ(なんの作戦だって?)。 だって、弱い女、守ってあげたくなるような女ってモテルって言うじゃないっすか? 違う??
強いと認識されてしまうのは「女」として結構辛い時がある。 「ほおっておいても大丈夫だろう」 「甘えても平気」 「1人で生きていけるだろう」 「お前ならナンとかなる」 「転んでもただじゃ起きない」 「変わってる」(←これはちょっと違うかも?) 等と、言われつづけてきた。 まぁ、どうでも良い人から何を言われても別にいいのだけど。 同じようなことを、コイビトから「別れる理由」として言われてしまった日には「目の前真っ白」ってカンジダ(←「かんじだ」って入力して「感じだ」って変換するつもりが・・・こんな変換になるなんて・・・私のPCっていったい・・・)もとい、感じだ。
多分、思うに、きっと(かなりアヤフヤ)「人に弱みを見せるのが得意ではない」というのが敗因なんだろうか? あ、いや別に何に負けたってわけでは無いのだけどね。
たしかに、生きていると、色々と悲惨なことが自分に起きたりする。 そういう時に、私がどう反応するのか? と考えてみると、もれなく「笑ってしまう」のだ。 もう、悲惨な出来事が重なれば重なるほど(この場合、私オンリーに悲惨なことが降りかかる・・・という条件の下で。 知り合いに降りかかったことでは、笑えません、いくら何でも)、自分の「悲惨」さが、あまりにも「マンガ」のようで「コメディ」のようで・・・可笑しくなってしまうのだ。
そういう事を、女友達と話していたら、彼女も「あー、わたしもだぁ」と言っていた。 彼女はタバコを吸うので「タバコがんがん吸いながら、あっははぁー・・・って笑いが出るよねー」とのこと。 うんうん、わかる。
その他の、長い間の友達、夏緒ちゃんも、同じような事を言っていた。 自分で笑ってしまうだけでは済まずに、つい、その「悲惨さ」を人の伝えて、笑いまで取ってしまおうとする・・・。 人に笑ってもらえれば、心のどこかで「あっはー、元取れたー」って気がしたりもするのだ。 以前、妹からは「おねえちゃんの人生はネタ集めか?」と真顔で言われたが・・・強く否定できないのが辛い・・・あは。
しかし、笑いをとって元を取ろうと人に話しをしても、たまに「可哀相な人だ」と「大変な人ですね」と、真顔で慰められてしまうこともある。 内心「オーイオイ、そこは笑うところ!」とツッコミながらも「そうかー、私って、可哀相なのかー」と変に関心してみたり、ちょっと寂しく思ったり。 つい「っんはっ! かたじけなく存じます!」と、戦地から戻った小野田さんか? って感じの口調になってしまったりする。
「同情されるよりも、笑われてしまいたい」という意識が強いという事だ。 可哀相ねーといわれるよりも「あほくさー」「いかれポンチー」とバカにされていたほうが気が楽だ。 同情するなら金か愛をくれ!(←何かが違う・・・。)ってな所だ。
でも、コレら↑がまずいんだろうな〜、きっと。 この変な自尊心がまずいんだろうなぁ〜。 うーん。
今までの経歴とかを知らない人に話すと「キャリア指向なんですね」とか「稼いでるでしょう」とか「結婚に意味を見出さないんでしょう」とか色々言われる。 「大人の自立した女性なんですね」なんて言われた日には・・・
そんなんじゃなーーーーーーーーーい!ぜんぜんちがーーーーーーーう! と、叫んでそこらへん走り回りたくなる(←やってはイケナイ)。 その場その場で、苦し紛れに、やらなきゃならないことをやってきたら「こうなっちゃった」というのが正しい解釈なのだ。 私の人生の・・・くぅ・・・(大泣)。
「大人の女像」というステレオタイプに嵌められそうになると「うぅー、ちがうんですー、勘弁してくださいー、まだなんですぅー」と泣きたくなる。 本当に、大人の女性と自分で思って、それを演じるように生きている人っているのだろうか?
誰にも、男も女も関係なく「弱い部分」と「強い部分」が共存してるのが人間だよねぇ? 「強い」というレッテルをはって、それを理由に別れを切り出すのは止めて欲しい。 だったら「んー飽きちゃった」って言われる方が、ズッとましだ。
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