その63

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ending is beginning,  beginnig is ending.

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 才能の溢れる男と付き合っていた。 付き合うことで、自分の中で何かが死んだ。

 

 その男性、仮にJとしよう。 彼とは学生時代に付き合っていた。 2人ともファッションを勉強しており、お互いに「将来は絶対にデザイナー」と内心決めていた。 同じクラスで、同じ授業を受けていたけれど、初めから彼の才能は抜きん出ていた。

 惚れた欲目。 そんな物ではない。 だいたい、彼にとっと、「〇〇ファッション大賞」のようなコンペティションの第一次審査を通過する・・・なんていうのは日常茶飯事だった。 それに、そういった大賞のトロフィーや賞金もいくつか手にしていた。

 

 私は? というと、デザイン画はほどほどに描けるけれど・・・とその程度どまりだった。 その程度どまりではあるけれど、それでも心のどこかで「ファッション好きだし・・・」と「何とかなるだろう」と・・・希望を持っていた。

 

 Jのデザイン画が一時審査を通ると、いつも2人で作業に入った。 彼の思うような布を探し一緒にアッチコッチ歩き回ったり。 思うような形を作るために夜寝ずに布をいじったり。 形が出ると、後は、仮縫いをし倒し。 その仮縫いを私が着て、あーでもないこーでもない・・・と討論しデザイン変更を重ねた。

 

 その時間は本当に楽しかった。 半面・・・私には辛かった。

「なんでこの人はこんな発想ができるのだろう?」「なんでこんな色合わせを考えつくのだろう?」「なんでこんなラインを意図もカンタンに描けるのだろう?」自分と比べては、ヒリヒリと「才能の無さ」を噛み締めていた。

 努力すればどうにかなる・・・そんなレベルの問題ではなかった。 ハッキリ言える。 彼は天才だった。

 天才の隣で生きるのは、楽しい。 新しいものがドンドンと湧き出してくるのが見られる。 それはあるいみ「魔法使いの魔法」を見ているみたいなもんだ。 でも・・・自分が魔法使いでは無く、マジシャン、手品師だとしたら・・・。 仕掛けが無いと、何もできないマジシャンだったとしたら・・・。 それは、とても辛い。 

 

 毎日、ヒリヒリと自分の力の無さ、才能の無さを感じながらも、彼から「愛されている」という実感に自分のプライドを見出していた。 こんな凄い男から愛されている。 それは私にとっては勲章よりも凄いことだった。

 辛くはあったけれど、それに匹敵する、もしくはそれ以上の「楽しさ」もあった。 だから一緒にいた。 

 

 でも、ある日、決定的なことを彼が決断する。 それも自分1人で。

 

 彼は突然こう言ったのだ。

「俺、もうファッション辞める」

 

 私は耳を疑った。 学校の先生や学長までが期待をかけていた彼が。 私だって期待をかけていた彼が・・・ファッションを辞めると言いきったのだ。 彼が結果を出すとき、もう誰も口を挟めないのは良く分っていた。 結果はすでに彼の中で出てしまっているのだ。

 それだけではなかった、彼は、海外の学校に入学届けを勝手に出しており、その「入学許可」までもらっていたのだ。

 海外で「建築」を学びなおす為に。

 

 「どうしてファッションじゃダメなの?」

当たり前のことを、当たり前のように聞いた。 聞いてもし方が無い、聞いても、もう遅いことをどこかでハッキリと理解していた。 でも聞かずにはいられなかった。 自分の為に。

 

 「外面だけのことに関わっているのが嫌になった。 結局、どんなに理屈をつけても、ファッションは変わるもの、変わるからファッションなんだ。 そんなアヤフヤなものにどうして自分をすり減らしてまで関わっていなければならないのか? 全然理由が見当たらない」

 

 と彼は言った。 

たしかに・・・ファッションは流行だ。 不確かな人間という存在を反映するみたいに、どんどんと形を変えていく。 形を変えるから流行(ファッション)なわけだ。 そこに「確実」に変わらないものを求めると、もうすでにファッションでは無くなってしまう。

 正論だ。

 

 私は、言い返す言葉が見当たらなかった。 

建築は空間だ。 空間は人に影響を与えると思う。 それに、建築は・・・最低限ファッションよりも長く確実にそこに存在する。

 と彼が言った。 正論だ。

 

 どんなに正論を吐かれても。 私の心に直接訴えてくることは無かった。 私の心に響いていたのはそんな事ではなかった。

 

「こんなに才能のある人が、いともカンタンにファッションを捨てる。 こんなに才能の無い私が続けていく意味があるんだろうか?」

 そんな事ばかりを考えていた。 それに、彼は海外に行く。 ということは別れると言う事だ。 捨てられる。

 

 自分のことしか考えられなかった。

愕然とした。 

その時、私の心の中の支えだった全て、メインの全てが全く「無」になったように感じた。 夢やプライドや・・・そんなものがパッと消えたような気がした。 言い方を変えれば・・・死んだように感じた。 多分、あの時、私は1度死んだんだと思う。

 

 彼のことは彼のこととして、自分で自分の「夢」としてファッションを追求することもできた。 とも思う。 でも、私は、自分で自分に見きりを付けてしまったのだ。 

 

 結局、卒業した惰性でファッションデザイナーとして働くことになったけれど(他に求人は無かったし、やりたいことも見つからなかった)。 見きりを付けていた私は、「業界」に、不思議と快く迎えられた。 ファッションを過大評価していなかった私は「売れる商品」をデザインすることにプライドが傷つく・・・と言う事がなかったからだ。

 結局、建前として「芸術性」とか言っていても、売れなくてはビジネスにはならない。 商売ができなければその会社は淘汰されていくのだ。

 

 重宝されてはいたけれど・・・それでもやっぱり「商売」としてファッションを「才能が無いのに」やっている事実が辛くなり。 数年で辞めた。

 

 でも、辞めて良かったと今では思える。 その後、色々と思い出しては辛い思いをしたけれど。 他に色々なことを試す「自由」が手に入った。 商売・・・として関わらないファッションはやっぱり魅力的だ。 楽しむ余裕や、意識的に無視する自由が手に入った。

 

 当時は「捨てること」「諦めること」にばかりフォーカスがいっていて、辛い、寂しい、悲しい・・・とネガティブな感情しか沸いてこなかったけれど。 今、考えてみると、捨てること・・・というのは自由を手にすること・・・なんだと分る。 死ぬことは生まれ変わるのと同じ意味、とタロットカードも意味するように。

 

 当時の彼、Jも、今は建築を捨てた。 建築を捨てることで新しい可能性を見つけて頑張っている。 捨てたり見つけたり、又、捨てたり。 そんな事の繰り返しで生きているのだなぁ、みんな・・・。 

 

 

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