その25

 

もーやん  

 

 小学校はおもしろい場所だった。 いぢめにあったりもしたけれど、自殺未遂もしたけれど、おもしろい場所だった。 このおもしろいは「Fun」じゃなく、「Interesting」のほうね。

 

 公立の小学校だったので、周りには色々な人がいた。 

 同じクラスのTちゃんのお父さんは「やくざくずれ」と大人達は言い。 放課後に遊びに行くといっつもテレビを見ていてお酒を瓶からラッパのみしてた。 その酒瓶を支える両手の指は3本づつしかなかった。 「やの付く人で、なんかヘマやりっぱなし、指つめっぱなしだったらしいよ。」だそうだ。 すごっ!

 まぁ、とにかく、「かに父さん(バルタンとーちゃんとも・・・)」と呼ばせて頂いていた。

 

 すぐ近所だったCちゃんちのお母さんは、背が高い人で、遊びに行くといつもスケスケのネグリジェを着ていて(放課後なのに)、髪の毛はりかちゃん人形並に「ぐりん」と毛先がパーマで、まっ茶色だった。 お父さんは船長さんで、3ヶ月に1回しか家にいないけど、若い男の人がいっつも遊びに来てるから寂しく無いんだ。 ってCちゃんは言っていた・・・やばいって、それ。(当時は「いーなーおにーさんほしー」とか言っていた。)

 

 O君(デブ)の家にはお母さんがいなくて、もう1人の同じ苗字のO君(がり勉)の家にはお父さんがいなかった。 みんなで「同じ苗字だから、一緒に住んじゃえばいいんだよ」と当時言っていた。 (子供だからって・・・あんた・・・)

 

 Nちゃんの家は町医者で、「裏庭は100坪ある」とか「将来は弁護士か外交官のお嫁さん」とか常に言っていて「ベンゴシ?ガイコウカン?何する人?」って聞いても「わかんない」と答えていた。 だいたい「ツボ」って「花瓶」だとてっきり思ってて「裏庭に焼き物のツボが沢山ある図」を想像していた。 

 ほかの友達Aちゃん(劇貧、でも、頭脳良好)と遊びに行ったら、すごいタンスを開けて私達に見せ「ほら、こんなにお洋服を持ってるのよ、着ていない服も沢山! 好きなのあげるわぁ〜」と両手を広げて言った。(もらわなかったけど、欲しくなかったから。 なんかセンス悪かった)

 それをキッカケに、Nちゃんは学級委員のAちゃんからものすごく嫌われて、クラスで小さな存在になっていった。

 

 とにかく・・・思い出すだけで「天然で個性的」な人達が沢山いたなぁ。

 

 なかでも「もーやん」と呼ばれていた知恵遅れのオンナノコとは、なぜか? 色々と共通点があった。

 

 数年前にフォーレスト ガンプを見て気がついたのだけど、私の小学校時代の知能指数は「フォーレストガンプよりちょっと上」程度の数値しかなかったのだ。 (実は、あの映画でアノ部分で一番ショックを受けていた私・・・)

 毎年する知能テストの度に、先生の机に呼ばれた。 勉強はソコソコにできるし、普通に生活できている私の知能指数が「ちょっと知恵遅れチック」な数字なのでみんな驚くのだ。

 小学校5年の時の担任が「本当は教えちゃいけないんだけどな・・・」って見せてくれた数字は80ぐらいだったと思う。

 

 そんなせいなのか? 生粋の知恵遅れもーやんとは、「思わずあってしまう災難」に共通点があり、2人で話しこんだりした。

 

 私も彼女も若干10歳ぐらいで良く、変質者の被害にあっていたのだ。 近所に住む、自分の父親の小学校の同級生から体を触られたり。 市民体育館の管理人のじーさんからキスされたり・・・。 祖父の親友から胸をグリグリ揉まれたり。

 

 私は子供ながらに「これ、言っちゃいけないや」と思っていたので(ウソツキだって言われると思った)。 誰にも言わずに「自分が悪いんだきっと」と思っていた。 (今だったら、許さないけどね、そういう男)

 誰にも言えずに、もーやんだけに話しをすると「あ、ちってる(知ってる)、あたちもやられた」とアッサリ言うのだ。 そして「ばかだよねー」ってケラケラ笑う。 私もなんだか救われた気持ちで「ケラケラ」笑う。 

 

 彼女が「ばかだよねー」と言って笑っていたのが、やられる私達を指していたのか? やった男達を指していたのか? どっちでも良かった。 「笑える事柄だ」と体で教えてくれる彼女が好きだった。

 中学校に入ると、彼女は「特殊学級」というクラスに密閉された。 私との接点はほとんど無くなった。 

 

 依然と「そういう被害」にあいがちだった私は、自分の「女」という性や体にほとほと嫌気がさし。 自分の成長を止めるという暴挙に出た。

 つまり、食べるのを止めたのだ。 親に隠れて。

 そして、思ったとおり(たぶん無意識で)、ガリガリにやせ細り、生理は6ヶ月止まった。 それも親に隠しとおした。 成長期にホルモンの分泌を自分の意志で止めたのだ。

 胸やお尻の成長も止まった。 周りの女友達はどんどんと「女」の象徴の体に変化していく。 そのギャップが広がれば広がるほど「安心」した。

 

 そんな時期も、あっさり同年代の異性に「恋」することで終わりを告げるのだけど。 未だに、ちょっと後遺症が残っている。

その後遺症を自分で感じるたびに「あのとき、もーやんが側にいてくれたらな」とちょっと切ない気持ちになる。

 

 もーやん元気かなぁ。 インターネットなんかやらないだろうけど。 やらなくても自分のしあわせ見つけてると思うけど。 私は元気だよ。 元気でね。

 

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