その53 |
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いくらなら | |
昨日の高樹 洸さんの「WebColumn」(セックスのお値段)を読んでいて思い出したことがある。 高樹さんのコラムは、去年ぐらいからちょくちょく読ませて頂いている。 私は本でもエッセイやコラムも女性観点のものが好きなのだけど、この人のは特別・・・というか、すんなり読めて笑えるのえ好きだ。 「そうだよねー」と共感したり、「あれ、ちょっと違うな」と自分の反論が出たり、ただニヤニヤと笑ったりしながら読んでいる。 メールなんかは書いたことないし、BBSに書きこみしたこともないけれど・・・とほほ・・・すんません。
私が、それをよんで思い出したことというのは、かれこれ7年前のNYでのことだ。 当時の語学学校のクラスメートでKZさんという日本人男性がいた。 たしか、私よりも10歳年上で、脱サラして、奥さんを日本に1人残して単身で「脚本作家」になりたい、とNYに来ていた人だった。 バイトも一生懸命、勉強も一生懸命やっている人だったんだけど・・・どこか「おやじ臭さ」のある人だった。
私の言うおやじ臭さ・・・というのは年齢のことを言っているわけでは、断じてない。 見た目でももちろん無い。 雰囲気なのだけど、無理して文章にするなら「柔軟性が無い」という事だ。 頭が固いの。 それでも、よく、色々な人を交えて一緒に遊んでいたと思う。
ある日、彼が「どうしてもお前と飲みに行きたい」とおっしゃるので、私は軽く付いて行った。 今日は奢る・・・と言われたので、店の選定は全て彼に任せた。
最初に行ったのは、マンハッタンにある居酒屋だった。 そんなところ、1回も行った事なかったので驚いた(というか、興味がなかった・・・だって日本に一杯あるじゃんね?)。 そこは「まるっきり日本」だったのだ。 板さんは「いらっしゃませぇ〜」と潔く言い、壁には「もろきゅう」「いたわさ」「ほっけ」とか短冊みたいなメニューが貼ってある。 私は、郷に入らずんば、郷に従えGO!GO!な人間で(というか貧乏人・・・それに、なんだかことわざ間違って無い?これ?)NYの安いところばかりで食事していた。「日本人村」のようなところには行ったことが無かった。 だって、高い。 お通しUS5$でっせ? 7年前で。 2人でUS10$? まだナンにも頼んでないのに?? ま、いいや、奢りだって言うし。
まずはビール、つぎは日本酒ね・・・でイイ湯加減になったKZさんは、急に 「お前、いくらもらったらセックスするって言うと思う?」 と聞いてきた。 はぁ? である。 だって、それまでは英文法のわからない事とか話してたんだよぉ?
でもまぁ、そう言う事考えるの嫌いじゃないので、しばらく考えて・・・「んー、とりあえず、お金別にすごく欲しいわけじゃないから・・・いくらって言われてもしないなぁ」 と答えた。 それは本音だ。 貧乏だったけど、激貧じゃなかったし。 食べ物には困ってなかったし。 無かったら働けばなんとかなるメドも持っていたからだ。 その答えを聞いたKZさんはなぜだか激怒した・・・ 「うそを付くな! お金を積まれて体を売らない人間なんかいないんだ! じゃぁ、一億円って言われたらどーするんだ!」
・・・なんでこの人、一人で怒ってるんだろう?・・・
と思いつつも。 うーん・・・と考えてみた。 別に、一軒家なんか欲しく無い、車もいらない、洋服はある程度持っているし・・・、ブランドモノなんかに興味ないし・・・一億円っていう単位自体がソモソモ頭に実感として沸いてこない。 いうなら10万円のほうが、もっと実感として「あ、あれが買える」とか思えるのだけど。 そのために、知らない人と裸になるのは嫌だ・・・。というか、もし、知らない人、すきでもない人とヤる・・・として。 相手の「ニオイ」とかが気になったりしたら・・・うわぁ、地獄だ。 ずっとそのこと気にしなくちゃならない。 うへー。 ぢごくぢごく。
色々考えた結果・・・ 「やっぱり、1億円でもヤらない」 と言ったら・・・ 「お前は嘘つきだ! ウソツキ女だ! そんな奴はいないんだ!」と涙目・・・。 なんだよこのオッサン・・・。
その後、適当になだめて、2軒目(日本人バー)に連れていかれ、まっずいジントニックを舐めて、帰った。 途中、彼は地下鉄の駅で潰れたらしい。 よかったねー、殺されなくてぇ〜←これ、マジ起こり得る事です。
なーんであんなにKZさんが怒ったのか? 未だに不明だ。翌日、学校であったら平謝りだったけど。 理由は教えてくれなかった。
今、あの時のことを考えて・・・またもう1度「いくらだったらヤるか? 一億くれたらヤるのか?」と自分に質問してみる・・・。
未だに答えは「ノー」だ。 だって、やっぱり、そんなに、そこまでしてまで欲しいものが無い。大概、本当に欲しいものって金出しても買えないものが多い。 時間とか。 余裕とか。 精神的なタフさとか、それに付随する優しさとか。 好きな人の笑顔とかさ。 きれい事・・・なのかなぁ・・・。 それに、やっぱり、コワイよ。 自分を商品にする・・・ってことはさ。 それだけの値段が稼げると「有頂天」になるだろうし、売れなくなったら「落ちこむ」と思う。 自分の価値がハッキリとした「数字」で表されちゃうっていうのは、ちょっとコワイ。 自分の精神は、そういうのに付いて行けない気がする。 それだけの、商品としての自分に自信なんか全く無いし。 それに、1度、「男性」という性を「買ってくれる人」つまり「客」として見てしまったら。 今以上の不信感に襲われると思う。 本当にイザ・・・という時はわからない。 もう、どうしようもなくなったらスル・・・かもしれない、私は。
でも、今の時点で・・・自分に値段をつける勇気が無い。 人それぞれの価値観だと思う。 「体を売って、セックスを売ってお金を得ること」ということに罪悪感があるから・・・というワケでは全然なく。 どちらかというと、そういう行為をしてしまったら、自分の中の自我というのかな? それが危うくなっていくような気がする。 例えば、それが身近な10万円か? 身近じゃない1億円か?という価格の問題では無く・・・だ。
そういえば、そのNYの時。 「もしかしたら、私もKZさんの年齢になったらそう思うようになるのかなぁ〜」なんて漠然と考えていた。 そして、今、KZさんの歳に近づいている。 あと数年だ。 あと数年で、私は「一億だったらオッケイ!」って言えるようになるんだろうか? 冗談でだったら言える。 でも、冗談だったら・・・一億なんて中と半端な値段じゃなく一兆円・・・とか言うだろうしなぁ。 やっぱり、年齢では無いのかもしれないね。
あれ?そういえば・・・あの7年前って・・・私、もしかして誘われてたの? あれ? もしかして・・・KZさんって一億出すつもりだったのかな??? ・・・んなわけないって(笑) |
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